2018-10-28

紅豆 - 王菲 (フェイウォン)



中国語翻訳に挑戦。なんだか主語がよくわからないので適当に付け加え。こういう詩とか文語(書面語)は特に勉強不足。
イタリア語よりもひとつひとつの単語を見た時に絵が浮かぶ気がするのは、やっぱり漢字で育った日本人だからかな。あと曖昧でわかりにくい箇所もあるのだけど、そのファジーな感覚がアジアっぽくて非常好。イエスかノーかのイタリア語には求めにくい要素ではないか。
二、三、自信のない箇所もありますが、まあ勉強中ということで。

紅豆
あずき

一番
還沒好好的感受 雪花綻放的氣候 
雪が花を咲かせる季節を まだふたりで味わったことがないけれど

我們一起顫抖 會更明白 甚麼是溫柔
一緒に震えればわかるかもしれないね やさしさとは何か

還沒跟你牽著手 走過荒蕪的沙丘 
まだ君の手を引いて 荒れた砂漠を進んだこともないけれど

可能從此以後 學會珍惜 天長和地久
そうしてみれば 永遠を噛みしめることができるようになるかもしれないね

有時候 有時候 我會相信一切有盡頭 
ときどき僕は思ってしまう すべてには終わりが来ると

相聚離開都有時候 沒有甚麼會永垂不朽
出会いがあれば別れもあり 永遠に続くものなど何もないと

可是我有時候 寧願選擇留戀不放手 
それでも僕はときどき願ってしまう いつまでも君の手を離したくないと

等到風景都看透 也許你會陪我看細水長流
景色がはっきりと見えるまで待てば もしかしたら君とずっとこの先も一緒にいられるのではないかと

二番
還沒為你把紅豆 熬成纏綿的傷口 
まだ君のために 癒えぬ傷になるまで小豆(相思相愛のたとえ)を煮たことがないけれど

然後一起分享 會更明白 相思的哀愁
あとでそれをふたりで分かちあえば もしかしたら恋の哀しみがわかるようになるのかもしれないね

還沒好好的感受 醒著親吻的溫柔 
目覚めの口づけのやさしさも まだよく知らないけれど

可能在我左右 你才追求孤獨的自由
もしかすると僕の横にいてはじめて君は 孤独の自由を追い求めることができるのかもしれない

有時候 有時候 我會相信一切有盡頭 
ときどき僕は思ってしまう すべてには終わりが来ると

相聚離開都有時候 沒有甚麼會永垂不朽
出会いがあれば別れもあり 永遠に続くものなど何もないと

可是我有時候 寧願選擇留戀不放手 
それでも僕はときどき願ってしまう いつまでも君の手を離したくないと

等到風景都看透 也許你會陪我看細水長流
景色がはっきりと見えるまで待てば もしかしたら君とずっとこの先も一緒にいられるのではないかと