アマンドラ山から見たプリオーラ山
先日、訪ねてきてくれた日本人の友人と登ったアマンドラ山からの眺め。今回は大きめの写真にしてみました。クリックすると横1000ピクセルに拡大します。小さな画面の方はご容赦を。普段、同じ部屋にこもってパソコンの前でじっとしていると(『仕事していると』と書くのが幾らかためらわれるほどの、集中力のなさが情けなし)、こんな素敵な風景がバイクで40分+徒歩40分の頂きにあることすら、忘れかけてしまう。
白く見えるのは羊の群れです。左上にぽつぽつと見えるのが、見張り番の牧羊犬たち。
思わずハイジのテーマが聞こえてきそうな眺めでしたが、ここで無邪気に「ひつじさ〜ん」なんて駆け寄ったが最後、大きな犬たちの餌食になってしまいます。しかも今回は近くにペーターの姿がありません。犬のさらに向こうにアマンドラ山の頂上があるのですが、彼らの後を回って頂きに向うのは少々おっかなかった。風向きなんて気にしたりしつつ、そろりそろりと登頂しました。
風の強い日で山頂からは遠くの山火事の煙まで見えました。日本でもニュースになった先々週の山火事ラッシュの始まりでした。乾燥した草がおいしそうだった。
ところがこれを書いている今日は、まるで秋か冬のような雨天の肌寒い一日でした。もはや「季節外れの」という形容詞が無意味な気のする天候不順はここイタリアでも同じこと。それが異常気象・温暖化のせいかどうかは分かりませんが、いずれにしても、急な低気圧に気分まで支配されたようで、かなりうっくつとしていました。
画面の前でじっとしていると、妙な気分になることがあります。入手可能な情報量は無限大にあるようでいながら、画面の奥(ネットの世界)の発掘を続け、深く掘れば掘るほど、視界がどんどん狭まって行くようなこんがらがった気分です。普段の生活と較べて実際目玉が動く量もかなり少ないという身体的な感覚も幾らか関係しているのかも知れません。本物の世界は自分の身の回りに広がっていると言うのに、全てがこの画面の平面の奥に隠されているかのような錯覚です。まあ、仮想現実と言ってしまえば、今更何をといった感じの話題ですが。
幾らネットで検索しても、自分の手の裏すらそこには見えない。窓から見えるあの木の一枚の葉の裏で、いま何が起きているのかさえ、ネットでは分からない。そんな当たり前のことを思い出して、不意を打たれたような気分になる時があります。これは病気ですな。今風に言えば、ビョーキ、軽い精神病のようなもの。
やはり時には山に行って厄払いをせにゃなりません。
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